Published: 2025-04-10 20:10

どんな自分にでもなれる──演劇が教えてくれた収監者による物語、映画『シンシン／SING SING』

ニューヨークにあるシンシン刑務所で行われている更生プログラムのひとつである舞台演劇を題材に、無実の罪で収監された男と収監者たちの友情を描いた実話を映画化。主人公をコールマン・ドミンゴが演じ、そのほかのキャストは、シンシン刑務所の元収監者で、この更生プログラムの卒業生や関係者の俳優が参加している。第97回アカデミー賞®で主演男優賞、脚色賞、歌曲賞にノミネートされた本作の見どころを解説する。

【動画】『シンシン／SING SING』のキャストの85%以上は、RTAプログラムの卒業生たちが務めている

舞台はアメリカ・ニューヨーク州の最重警備刑務所であるシンシン矯正施設。1996年、収監されている人たちに芸術活動を提供する団体「Rehabilitation Through the Arts」、通称「RTA」が、この刑務所で初めて設立された。その創設メンバーのひとりであるディヴァインG（コールマン・ドミンゴ）が、本作の主人公だ。メガネをかけ、物腰は柔らかく、いかにも知的な雰囲気が漂っている。収監されている部屋には本が山のように積まれ、小さな机に置かれたワープロのキーボードをカタカタと鳴らしながら、執筆作業をしている。

その振る舞いからは、ここが塀に囲まれた刑務所だということを忘れてしまうほど、窮屈さが感じられない。その姿が雄弁に示しているのは──踊ったり、絵を描いたり、物語を作ったり──何かを創造する行為は、あらゆる不自由や理不尽から、ほんの少しの間だけでも、心を解き放ってくれるということだ。16ミリフィルムで撮影された本作の風景には、空の広がりや心地よいそよ風、体育館の木の匂いまでもが伝わってくるような親密さがあり、日常にひそむ僅かな自由に、そっと手が触れるような感覚がある。

■元収監者たちによる演技

ディヴァインGは、シンシン刑務所内で披露する次の新作演劇の公演に向けて、キャスティングを始める。そこで名前が挙がった男のもとを訪ねると、なにやら金の徴収をめぐって誰かと揉めている。話し方や立ち振る舞いからして、いかにもギャングそのものの男に、ディヴァインGは声をかける。すると男は「人は生まれると泣き叫ぶ。アホウばかりの舞台に出るのが嫌だからだ」と、シェイクスピアの『リア王』（1606）のセリフを引用しながら、こう言ってのける。「俺はこれを聞いて思ったね、この作者はムショの経験があるってな」

男の名前はディヴァイン・アイ。彼は演劇への参加を決め、王子ハムレットの役を演じることになる。とはいえ、もちろん最初からうまくいくはずがない。メンバーとのコミュニケーションや、人前での演技なんて、誰でも最初は戸惑う。しかし、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」から始まる有名なセリフを何度も繰り返すうちに、その言葉が少しずつ彼の中に染み込んでいく。リズムや抑揚のつけ方も次第に洗練され、やがてみんなの胸を打つ演技になっていくのだ。

この演技が上達する過程を見事に演じた俳優はいったい誰なのか？　エンドロールを見て、驚く。ディヴァイン・アイを演じたクラレンス・マクリンは、なんと本人役で出演、若い頃の自分自身を演じていたのだ。しかも、それは彼ひとりだけではない。エンドロールを見ると、「AS　HIMSELF」と表記された出演者の多さに気付くだろう。シンシン刑務所で、実際に演劇活動を行っていた本人たちによる演技は、本作の見どころのひとつだ。

■誰にでもなれる可能性

今回、彼らが上演する舞台の演目はコメディなのだが、ディヴァインGを取り巻く環境は、ある出来事をきっかけに、次第に笑えない状況へと変わっていく。自分のいる場所が刑務所であること、その不自由さや理不尽さが、じわじわと前景化してくるのだ。劇中のセリフで「死ぬのは簡単だ、喜劇は難しい」と語られるように、辛苦の日々にあって、コメディをやるなんて馬鹿げているのかもしれない。それでもなお、本作が描いているのは、芸術に取り組むことへの希望だ。 　 日常の些細なことに意識的になりながら、アクションとリアクションを繰り返すことで、演技は成立する。たとえば、実際に舞台に立ってみると、難しいのは「止まる」ことだったりする。私たちは日常生活のなかで、無意識のうちにけっこう動いているのだ。そのことを自覚し、コントロールしながら、伝えたいイメージを観客と共有していく。その過程で、たしかな実感として浮かび上がってくるのは、「私たちは誰にでもなれる」という可能性だ。演者と観客は、演技を通してイメージを共有することで、くだらないレッテルの向こうにある可能性を見る。演劇というアートフォームには、そんな力がある。この世界で、私たちは望むような人間になれるのだと。

■カーテンコールのあとで

このままずっと創作の世界で生きていたい。けれど、ずっと映画館にいられないように、いつかは外へ出る時間がやってくる。芸術を通して「誰にでもなれる」可能性を信じることができれば、ドアはどこにでも開いていく。本作では、シンシン刑務所での生活と、その先にある社会復帰とが地続きのものとして描かれている。それは、完成した舞台を上演するシーンの描き方にも顕著に現れる。ここでは詳しく書かないが、あのあっさりとした語りは、彼らがこれからも舞台に立ち続けることを予感させるものだ。演劇は人生と似ている。カーテンコールのあとに待っているのは、人生という名のステージなのだ。

「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。非道な運命の矢弾を、じっと耐え忍ぶか。それとも、怒濤の苦難に立ち向かい、勇敢に戦って共に果てるか──いっそ死ぬか。死は眠りにすぎぬ。それだけだ。（中略）しかし眠れば──また夢も見ることだろう。いや、それが問題だ」──劇中の日本語訳による『ハムレット』のセリフより引用。

——『シンシン／SING SING』——

4月11日（金）TOHO シネマズ シャンテほか全国順次公開 配給：ギャガ © 2023 DIVINE FILM, LLC. All rights reserved.

文・島崎ひろき 編集・遠藤加奈（GQ）